男運が悪いオンナの正体。性嗜好が変わると選ぶ男はなぜ変わる?


「男運が悪いんだよね」と、オンナ友達が頭を抱えている。ダメ男に惹かれてしまう女性たちの常套句とも言えるこの言葉、耳慣れたものではあるが、どうにも腑に落ちない。

くじ運のように、自分の意志とは無関係に起こる出来事なら「運」という言葉も妥当だろうが、こと、男に限って言えば、自分の意思や嗜好で引き当ている。

本質を見抜く力を育てず、目利きとしての眼を養わず、それを「運のせい」として逃げているだけではないか、いや、そんな本音を口にすれば、ものの数秒で友情にヒビが入り、同情と共感の上に建てられたオンナの絆など、あっけなく崩れ去るだろう。

築年数の浅いオンナの友情は、ルマンドより脆く、耐震性は備えていない。だから私も、「そうだな。辛いな」と、当たり障りのない言葉で時を稼ぐ。するとオンナは続けて、「でもね、身体の相性だけはいいのよ」と。どうやら、男運は外れでも、オチンポ宝くじはジャンボを引いたらしい。

「抱かれてる時に暴言を吐かれることもあるけど、でも身体の相性がすごくいいの」と、その言葉に今度は、私が頭を抱える番だ。それは本当に、相性なのか?

オンナは、「今までで一番、トップオブトップのオチンポだった」と目を輝かせるが、たかが両手に収まる程度の経験人数で世界一を語られても困る。そして、多くの「男運が悪い」と語る女性たちは、同じように「でも身体の相性がよくて…」と別れられない理由を語り始める。

だが、身体の相性とは、心の距離や関係性の深さが感度に影響を与え、関係の成熟と共に磨かれていくものだ。好意を持っている男のオチンポは、往々にして気持ちよく感じられる。つまり、彼女たちはオトコの身体ではなく、オトコに存外に扱われることでしか興奮出来ない性的嗜好に執着しているのだ。

オンナは「Sが好きだ、乱暴に犯されることに興奮する」と言っていたが、本来のSというは、乱雑なセックスを楽しみながらも、パートナーに幸福感や安心感を与えてくれる人のこと。

だが、彼女たちは安心感やら心の充足感は求めていない。むしろ、興奮の妨げになるのだ。この性的嗜好は、過去の体験や自己価値観が絡んでいて、「私なんかは丁寧に扱われる価値がない」と思っていると、それを確認する為に、わざわざ自分を雑に扱う男を選んでしまうことがある。

つまり自分の自己価値を上げれば、性的嗜好は変わり、性的嗜好が変わればパートナー価値観も変わるのだが、長年共にした性的嗜好を簡単に手放せるわけはない。

愛されるセックスに満たされるオンナがいるように、愛されないセックスでしかオーガズムに達することが出来ないオンナもまたいるのだ。

だが、性的嗜好は訓練によって変えることができることを声を大にして言いたい。

かく言う私も、昔は相手主導のSEXに刺激を受け、背を向け眠る男に恋焦がれていた。だが、訓練を繰り返し、今では嗜好も、選ぶパートナーも変わっていった。

昔の私は、「NTR」や、女性が一方的に犯されるようなシチュエーションにしか性的興奮を覚えられなかった。支配されること、乱暴に扱われて涙を流すオンナに自分を照らし合わせた。快楽の回路が、歪んだ自己評価とがっちり結びついていたのだ。

だからまずは、その結びつきをほどくことから始めた。犯される私、傷つけられて興奮する私、というイメージにしがみつかず、自分の手で、自分を愛される対象として扱ってみた。自分を丁寧に撫で、自分の呼吸や快感に寄り添いながら、「ここが気持ちいい」「これが好き」と、他人のペースではなく自分の快楽に耳を澄ませた。

もちろん、最初は物足りず、乱暴な映像や音に逃げたくなったが、少しずつオトコから触れられ、優しくされたときに、快楽として受け入れることができた。

愛されたときに、心の奥まであたたかくなるような感覚が芽生え、背を向け眠るオトコをひとり部屋に残し、始発で帰り、もう会うことはないと断絶した。

性的嗜好は自由であり多様であっていい。乱暴なプレイが好きな人がいても構わない。ただ、性別を問わず、あまりにも自己を痛めつけるような嗜好の背景には、幼少期のトラウマや、自己愛の欠落が潜んでいることが少なくない。

だから私は言いたい。一度でいいから自分を大切に扱われる性体験をしてみて欲しいと。それが嗜好の矯正とかではなく、ただ、心と身体を同時に肯定されるという体験は自分自身を愛するための、ひとつのセラピーになるのだ。

快楽の形は人それぞれだが、自己否定から生まれた嗜好に、未来を預け続けないでほしい。そして、身体だけでない精神共にボリュームと質量を備えた人間を自分の力で引き当ててて欲しいのだ。