
セックスレスの問題が深刻化している。
以前、知り合いの婦人科医がこう語っていた。
「不妊には身体的な要因もあるが、そもそも行為そのものに至らないことが、子どもが授からない最大の理由になっている」と。しかもそれは、夫婦生活わずか一年も満たないうちに起きているという。これは、もはや立派な社会問題だ。
セックスレスの理由としてよく挙げられるのは
「パートナーを性的対象として見られない」
「パートナーに興奮できない」
といったものだが、これらの言葉にはどこか違和感を覚える。
私たち人間は、睡眠欲や食欲といった他の本能的欲求は、自ら沸かそうとする。にもかかわらず、性欲だけは外部からの刺激や欲望を”与えてもらう”ことで発動させようとするのだ。
しかし本来、欲求とは自らの意思で沸かすもの。婚姻関係にあろうとなかろうと、「パートナーに興奮させてもらってから行為を始めよう」と他力本願でいる限り、股間に性火が灯される未来は永遠に訪れない。
なぜなら、時間とともに肉体は衰え、肌は乾き、乳は垂れ、後頭部は下腹部の陰毛と競うように抜け落ち、白髪が混ざる。出会った頃に比べれば、外見的魅力の鮮度は落ちる。熟成したものにこそ、深い旨みが宿るが、若いうちはその事実に気づきにくい。
だが、それを知らぬまま、外見にばかり性的魅力を求め続けるなら、セックスレスは未来永劫、解決しない。
ただ、これは個々の夫婦だけの問題ではない。社会全体の構造に原因がある。
検索ひとつかければ、無銭で自分好みの裸を指先一つで「イク」タイミングまで操れる。ページをめくれば、推しが布面積を最大限に削ぎ落とした姿を見せつける。スマホをスクロールすれば、唐突にエッチな広告が流れてきて、ティーンエイジャーがハリのいい胸を揺らしてTikTokで踊る。私たちは、もはや自分で火を起こす必要すらない。
社会が勝手に薪を積み、種火をくべ、焚き火台まで用意して、あとは燃えさかるだけの状態にしてくれる。
私たちはただ、その火に手をかざし、ぬくぬくと暖を取るだけでいい。
出来合いのもので性欲を満たすことに慣れてしまい、自分で性欲を炊く「性の自炊生活」を、いつしか放棄してしまった。無修正は想像する自由を奪い、アイドルのヌードは妄想を掻き立てる筋力を衰えさせた。
与えられるジャンクな欲望に、レンジでチンする手間すら要らない刺激に、ひたすら満たされ続けた代償、それは、生身の、本当に愛した相手に対して、興奮できなくなるという悲劇だった。
セックスレスは、個人が生み出した問題ではなく、社会が意図的に作り上げたものだと言っても過言ではない。
それを解決しようとして、「新しいブラジャーを買ったの」とベッドの上で夫を誘惑してみても、「駅前で素敵なミモザを買ってきたよ」と妻の肩に手を置き、機嫌を取ってみても、その努力は性的興奮の引き金になるどころか、満腹の腹に無理やり飯を詰め込まれるような不快感を生み、むしろ「性のパワハラ」として受け取られてしまう。
では、私たち現代人は満腹になったこの心と体に、どうやって再び、性火を灯せばいいのか。次回の章で、この問題についてさらに詳しく触れていきたい。